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204.収穫祭日記(9) 

2006年02月20日 ()
今更ですが、こっちもそろそろ片付けないとね。
というわけで久々に更新します。
 
収穫祭の新企画でひと段楽した頃、私達は学科の対抗企画にも着手していました。
経済学科躍進のきっかけを作った104回に奢らず、105回ではより良いものを作ろう、という気持ちで、ほとんどの学生は9月頃に始めているであろう準備すら、6月から練るという気合の入れっぷりでした。
 
今年はさんだーも気合が入っていますし、ヒデは全体の企画に力を入れますし、各人がそれぞれのポジションを一生懸命やろうという気概が伝わってきていました。
それだけでも、私にとっては大きな収穫です。
 
で、私はといいますと、今年も劇を担当するのですが・・・、今度は少し真面目に、そしてハードボイルドなものをやってみたいなー、というのが頭にありました。
以下は、今から10年前に私が書いたシナリオのあらすじです。
 
Open↓

どこかは知らないけど、一人の男が取材を受けている。
大きな事件を追い続けたレポートが評価されたようだ。
男には笑みはなく、ただ「やりたいことをやった結果だ」と言った。
 
数年前、この男にはやりたいことなんてなかった。
目的もなく、気がついたら入社していた新聞社。
惰性の赴くままに動き、何かをやり遂げようとすることが恥ずかしいと思っていたのが、眠そうな声とともに現れた男女の声とともに、厳しい現実を突きつけられる。
 
「カッコ悪くてもいいじゃないか」と言って、目的に向かって突き進んでいる先輩記者の姿勢に感銘を受けた男は、先輩記者と一緒なら何かを成し遂げられるかもしれない、と彼についていくことにする。

この2人と女性カメラマンは、一人の政治家を追っていた。
旧ソ連が崩壊し、小国が独立運動を続ける中、ひとつの小国の地下に大量の石油が埋蔵されているという情報が流れる。
それ以来、小国の外交官と政治家との間で人知れず密会を重ねていた。
記者はその動きを察知し、決定的な瞬間をうかがっていたのだ。
そして遂に決定的な一言をキャッチするものの、ちょっとしたことから記者が捕まってしまう。
 
その後、いろいろなやり取りがあって先輩記者が帰らぬ人になってしまう。
男は遺志を引き継いで、成功を収めた。
武装闘争よりも言論の方がはるかに恐ろしい武器になる。
しかし、全てを成し遂げた男には充実感はなかった。
 
(余談:
ここまで書いて気がついたのは、『収穫祭日記』を途中で止めた最大の理由は、10年前に書いたこのシナリオの原本を探していて、見つからなかったからなんですよね;)
 
ちょうどこれを書いた時期というのは、とても私が言論というものを強く意識していた時期でした。
メディアの力強さと意地汚さとって言うのをいろいろ汲んで書いたこのシナリオを、私は『Knife』と名づけました。
ハッピーエンドが好きじゃない私には、丁度良いな、と笑ったものです。
 
この台本を書き上げた頃には、経堂の杜には秋風が吹き始めていました。

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[2006.02.20(Mon) 22:38] 収穫祭日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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136.収穫祭日記(8) 

2005年11月26日 ()
学園祭シーズンが終わってしまってますが、久しぶりに連載再開( ・ω・ )

ステージ企画会議前半最大の山場となってしまった『新企画の立案』ですが、その後、どういう展開でどんな企画となったのか。
立案については私の草案をベースに、さんだーとヒデの意向が強く反応し、経済学科が主導で話が進んで生きます。
私が立てた草案というのは、
「出身地に絞ったから相手が萎縮しちゃったし、周囲への宣伝が足りなかった。
だったら、農大の部活、サークル、研究室、応援団、全てに働きかけて、どの団体が最強か決めるっていうのはどうかな?
・・・安直ですが、こういう考えすらなかなか出てこないものなんですよね。
ちなみに、他から出てきたのは「クイズ大会」「鬼ごっこ」「笑点」・・・。
「クイズ大会」は同じく安直ですが、それだけで長い時間を持たせられるかというと問題でしょうし、「鬼ごっこ」はステージを使う意味がありませんし、「笑点」だとアドリブ強い人でないと対応できないので、参加しづらそう・・・。
私たちの企画は概要で一歩先をいっていましたが、プレゼンの内容が説得力に欠けましたので、なかなか一本に絞り込めません。

Open↓

そこで、さんだーが、
「ただの最強を決めるんじゃなくて、知力、体力、時の運すべての最強を決めればいいじゃん。」
と言いました。
某クイズ番組のパクリですが、このコンセプトが加わったのは大きかったです。
これが入る事だけで、ただのクイズ大会でもゲーム大会ではなくなり、企画の進行スケジュールまで踏み込んだ話をプレゼンできるようになりましたから。

とはいえ、皆自分の立てた企画は育てたいと言う思いは同じく持っているでしょうから、あとはいかにして会議の流れを私たちのペースに持っていくかが重要でした。
そこはもう、裏工作で周囲を説き伏せていく他ありません。
経験豊富なヒデが、昨年来のメンバーを次々に説き伏せ、一部を除いて大多数の賛成を取り付けることに成功しました。

他の話もいろいろと出たものの、この流れが決まるまで約2ヶ月、先が思いやられる思いでしたが、会議の流れを主導できるという手ごたえは掴めました。

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[2005.11.26(Sat) 21:57] 収穫祭日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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121.収穫祭日記(7) 

2005年11月09日 ()
強引にステージ企画の学科担当として参加する事になったのですが、通常各学科1人か2人しか代表が来ないのに、3人来ると言うのは、周囲にどれだけ異様に映ったでしょうか。
ただいるだけでは当然周囲も納得しないでしょう。
だから、私はもう最初からアクセル全開でした。
思いついた事は事あるごとに口を出すようにしました。
的外れでずっこける事もしばしばあったんですけどw
ただ、これらの発言は収穫祭のステージを盛り上げるため、ということは理解してもらえていたようです。
 
そして、私と一緒に経済学科のステージ担当であるさんだーとヒデも私への突っ込み役はもちろん、締める時は締める形でしっかり存在感を示していました。
前年、短期の学科代表で存在感を示したヒデは当然ながら、さんだーも今年は思い切り行くと言わんばかりの勢いでした。
奇しくも同じ学科の代表となりましたけど、この3人が別々の学科の代表として行動していたら、どんなに面白かったんでしょう・・・。
 
Open↓

この年のステージ企画の他学科の担当は、前年から事あるごとにお酒の席で一緒だった面々が揃っていて、酒の席を通じて気心が知れているだけに、何の遠慮もなく切り込める相手だった、というのは幸運でした。
会議の席で誤解を与える発言をしても、すぐに酒の席でフォローできるんですからw

酒の席を通じて感じていたのは、みんな「相当に」クセが強い人たちでした。
それだけに自己主張も強く、酒の席がなかったら衝突は耐えなかったのではないでしょうか?
お互いがリスペクト出来る関係だったから、衝突自体はほとんどなかったんですが。

そんなメンバーが衝突したのは、実は一番最初の会議からだったりします。
最初の会議で、各学科が前年の問題点と今年の要望といった部分を企画ごとに出したのですが・・・。
面白い事に、私が危惧していた「戦国お国自慢」を全員が一致で問題にしていたことです。
問題にする理由はさまざまですが・・・、企画そのものの練りこみが不足していた、とか、参加者が内部関係者ばかりだった、とか、根本的な問題が結構多く出ていました。
 
元々、私以外のほとんどのメンバーが補佐という形でステージ企画を担当していましたから、彼らの発言は説得力がありました。
私も「いいなぁ」と感じだのは、
「日本全国で凄い県はどこなのよ?」
というコンセプトだけですからねぇ。
参加方法、企画の中身、タイムスケジュール、商品、集客。
全部にダメが出ていたので、この企画は今年はやらない、ということになったんですけど、そうなると企画そのものの枠が1個あいてしまいました。
他の大学なら歌手のライヴが2つ埋まるであろうこの時間に、どんな企画をやるのか?というのが、当面のステージ企画担当者の頭痛の種であり、衝突要因になりました。
 
つづく

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[2005.11.09(Wed) 22:40] 収穫祭日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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115.収穫祭日記(6) 

2005年11月03日 ()
104回収穫祭も終わって、学内には平穏な日々が訪れます。
9月、10月は慌しい日々が続いただけに、拍子抜けすることが多くなりました・・・。
この時期は学科でも特別な動きがあるわけではなく、大概は日々だらだらしています。
私は演劇部にいましたので、公演の準備は手伝いましたけどね。
この頃、私は演劇部で活動することに興味が薄れていて、ほとんど一線から離れていました。
演劇部に対しての考え方で周囲と折り合わなかったのもあるけど、収穫祭の企画にもっと深く関わってみたい気持ちが強かったんですよね。
 
というわけで、私はこの冬の間にいろいろなことをネタ帳に書き起こしてみました。
ステージ企画に対しては、私の考えというのは結構有効に使えそうな気はしていましたので・・・。
「私の中で、ステージ企画、というか、芝居を通じて全ての根本の考え方が、鴻上尚史の「第三舞台」に対するスタンスと全く同じ、というか鴻上尚史のコメントに共感を持っていたんです。
 
「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。劇団の自己満足に終わらず、お客さんが付き合いで来ているだけでもない、最上の形で共有する舞台、ということで第三舞台と名付けました。」(鴻上尚史/早稲田演劇新聞1981.VOL7)
どうしても、自己の表現で満足してしまうと観客に対しての共感は得られない、全てが納得するステージを作り上げれば、自然といいものは出来るだろうと思いました。
これは、舞台だけに限ったことではなく、全てに対して言えるかなーという意味で、今も私の考えの根底にあります。
 
Open↓

例えば、ミスコン。
通常は人の多く集まる昼間に開催していたのですが、あえて人が帰ろうとする夕方に開催するんです。
夕方という時間帯がミソで、4時くらいになると屋外で照明効果が期待できる暗さになるんですよね。
照明効果があることで、ミスコンの企画全体にいろいろな要素が加わるのではないか、と考えたんです。
当たり前の話じゃないの?と思う人がいるかもしれませんけど、私が提言してなければまだ昼間開催とかじゃなかったのかな??
 
とか、
 
合同企画として食材を研究する割には、それを納得させる工夫が足りないと思っていました。
食材について考える企画は、劇、クイズ、試食の3部で構成されます。
ほとんどのお客さんの目当ては「試食」です。
世田谷のオバさんがオーディエンスの大半を占めてますからね。
それに、合同企画のあとで野菜の無料配布というイベントもやってるので、その前につまみ食い程度に実に来る人が多いんです。
嫌でも集客が期待できるので、成功させる努力をもっとして良いと思っていました。
そのためには、劇の分野でいかに納得させられるか、というのがポイントと感じました。
 
しかし、私の中ではもっと気になる事案がひとつありました。
 
104回収穫祭では、コレまでの企画のマンネリ化を打破しよう、という方針があって、103回までの企画のひとつつぶして、新しい企画を開催していました。
「つぶした企画」というのは「ミスター農大コンテスト」。
改めて考えると、この企画が名物のひとつだった、というのも考え物ですが・・・、ただ、この企画に対して行なった企画は「戦国お国自慢」という、最強の都道府県出身者を決定する企画でしたが、いかに農大に全国から学生が来ているといっても、県人会への働きかけが中途半端では、参加者も集まるはずはありません。
企画の趣旨は悪いと思いませんでしたが、参加者を広く集める意味では、お粗末だった印象は否めませんでした。
 
そう考えると、企画そのものをひとつ考える必要があったわけです。
ただ、コレばかりは私一人で考えるのにも限界がありました。
少なくとも提案する必要はありました。
 
と、これだけ考えていたのですが、収穫祭のステージ企画の代表は各学科から1人ずつ選ばれるんですが、経済学科は「さんだー」と、来年から短大から編入してくる「ヒデ」の2人で決まりかかっていました。
私は・・・、ここで直談判して強引に3人目として割り込みをかけました。
結果として、私は三人目としてステージ企画の会議に参加するようになりました。
 
つづく

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[2005.11.03(Thu) 19:49] 収穫祭日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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108.収穫祭日記(5) 

2005年10月29日 ()
104回収穫祭での経済学科のインパクトは、今までが沈んでいただけに、周囲には衝撃的だったようです。
劇での総合2位もさることながら、真価を発揮したのは体育祭でした。
自分の仲間たちにこういうのはアレですけど、とにかく動かないと気が済まない人たちが多かったんです・・・、私を含めてねw

体育祭は、競技の総合成績、応援合戦の成績、応援やぐらの装飾を、これまた競い合うんです。
今のゆとり教育で競争という概念が薄れていることを考えると、考えられないくらいに競争好きな祭りですよね。
きっちりこなせば、殺陣のアクションだってきっと通用する・・・、というか通用しました。
詩吟を取り入れたことで、全体的に締まっていたということもあるのかな?
造園学科の枝切バサミとはしごを使った応援、栄養学科のダンスのクオリティには及びませんでしたけど、全体の3番目でした。

やぐらに「ふるもでるちぇんじ」という応援メッセージを書いてありましたけど、全体が一生懸命になっていた事は他の学科にもしっかり伝わっていて、今年の経済は凄かったよ、と言われるようになっていました。
いかに前の年が・・・、と言うのもあるかもしれませんけど、言われること自体は悪い気はしませんでした。
ただ、私はもとより、学科の全員は「まだまだこんなもんじゃない」と言う気概で溢れていました。
来年は私たちが中心になって学科を、収穫祭を盛り上げないといけないのですから。

Open↓

そんな様々な思いを乗せて、後夜祭のファイヤーストームが行なわれました。
このファイヤーストーム、今はどうなのかは分かりませんけど、いろいろな意味で危険なのです・・・。
グラウンドの中心に火をくべ、燃え盛ったところで、宣伝のパレードで使ったみこしを火の中に投入していきます。
そして、勢いを増す火を見ながら、一年間を振り返って、ある人は涙し、またある人は悔しさを浮かべるんです。

で、何が危険なのかというと、火の中に投入するのは、何も燃えるものだけとは限らないんです。
例えば、みこしの材質は何でもありでしたから、木材や竹ならいいのですが、学科によっては全部わらとか、発泡スチロールとか・・・。
そういうみこしは、投入したあとにヤヴァイ煙を上げて燃え上がっていくんです。
火の周りにいるのも命がけです・・・。

そして、みこしが燃えていったあとで、応援団主催の「耐久青山ほとり」と言うのが行なわれます。
農大の応援団名物と言われる「大根踊り」、これを収穫祭の回数分歌い、踊り続けるのです・・・。
もちろん、これも一番が決められます・・・。
1番を残すために間引きをする理由もめちゃくちゃなんですけど、それよりも100回以上もエールを切る毎年の応援団長・・・、御疲れ様ですm(__)m

火の勢いが落ちていくのにあわせて、収穫祭自体もこれでおしまい。
でも、火が消えても、グラウンドの照明が落ちても、やぐらの周りに学生が消えることはありません。
3年生は収穫祭の運営から引退するので、ここで引継ぎをするからです。
収穫祭のために突っ走ってきたから、最後にはみんな思いのたけをぶち上げます。
自然と涙がこぼれます。

思えば、私が劇を担当することになって、最後まで私を信用してくれたのは学科の統一委員長(学科全体の統括リーダー)の先輩でした。
劇の成功で周囲が私を見る目が一気に変わりましたけど、最初から私の面倒を見てくれた事にはとても感謝しています。
そして、先輩たちの前で、私はもとより、全員が来年の収穫祭での更なる躍進を誓うのでした。

つづく

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[2005.10.29(Sat) 21:52] 収穫祭日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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